初夏の雨がしとしとと降り続く日、私はいつものように、幼い頃から通い慣れた公園の日本庭園を訪れた。池のほとりには、今年も見事なカキツバタが咲き誇っていた。深い紫色の花びらは、雨に濡れて一層鮮やかさを増し、その姿はまるで、静かな水面に映る「高貴」な魂のようだった。私、アカリは、この数ヶ月間、人生の大きな岐路に立たされ、深い迷いの中にいた。
私は、長年追いかけてきた夢を諦めざるを得ない状況に直面していた。大学卒業後、情熱を傾けてきた舞台芸術の道。小劇団で裏方として働き、いつか自分の演出で作品を世に出したいと願っていた。しかし、劇団の資金繰りは悪化し、ついに解散が決まったのだ。私の心は、まるで根無し草のように宙に浮き、どこへ向かえば良いのか全く分からなかった。未来への希望は薄れ、毎日が灰色に見えた。
そんな時、いつも私を慰めてくれたのは、この庭園に咲くカキツバタだった。特に、池の奥にひっそりと咲く、ひときわ濃い紫色のカキツバタは、私にとって特別な存在だった。その花を見るたびに、私は亡き祖母の言葉を思い出す。祖母は、私が幼い頃からよくこの庭園に連れてきてくれた。
「アカリ、このカキツバタはね、『幸せは必ず来る』って花言葉があるのよ。どんなに辛いことがあっても、必ず良いことが待っているって、この花が教えてくれるの」
祖母は、いつも穏やかな笑顔でそう語っていた。その声は、今でも私の耳の奥に響いている。祖母は、私が舞台の道を志した時も、誰よりも応援してくれた人だった。彼女の存在は、私にとって大きな支えであり、今でも心の中で深く「思慕」している。
しかし、今の私には、祖母の言葉が遠い幻のように感じられた。本当に幸せは来るのだろうか。この閉塞感から抜け出すことができるのだろうか。私は、自分の無力さを痛感し、深い絶望の淵に沈みそうになっていた。周りの友人たちは、それぞれ自分の道を見つけ、輝いているように見えた。それに比べて、私は何も持っていない。そう思うと、胸が締め付けられるような苦しさが襲ってきた。
私は、池のほとりにしゃがみ込み、カキツバタをじっと見つめた。花びらの繊細な模様、すらりと伸びた茎。泥の中に根を張りながらも、こんなにも「高貴」で美しい花を咲かせている。雨風に打たれても、決して折れることなく、まっすぐに上を向いている。その姿は、まるで私に何かを語りかけているかのようだった。
「諦めるな」
そう聞こえた気がした。私は、これまで自分の夢に「誠実」に向き合ってきたはずだ。確かに劇団は解散したけれど、私が舞台にかけた情熱は消えたわけではない。形は変わっても、きっと別の形で表現できるはずだ。カキツバタがどんな困難にも負けずに咲き続けるように、私もまた、この状況を乗り越えることができるはずだ。
私は、ゆっくりと立ち上がった。雨はまだ降っていたが、私の心には、一筋の光が差し込んだようだった。私は、家に帰り、これまで書き溜めてきた脚本や演出ノートを引っ張り出した。もう一度、自分の作品を見つめ直してみよう。劇団という形ではなくても、個人でできることはあるはずだ。小さなワークショップを開いてみたり、インターネットで作品を発表してみたり。方法はいくらでもある。
その日から、私の生活は一変した。私は、毎日図書館に通い、新しい表現方法について調べた。インターネットで、個人で活動しているアーティストたちの作品を研究し、刺激を受けた。そして、勇気を出して、かつて劇団で共に汗を流した仲間に連絡を取ってみた。最初は戸惑いの声もあったが、私の熱意が伝わり、何人かの仲間が協力してくれることになったのだ。
数週間後、私は小さなカフェの一角を借りて、朗読劇を上演することになった。脚本は、私が劇団時代に温めていたものだ。観客は少なかったが、皆、真剣な眼差しで私たちの朗読劇に耳を傾けてくれた。終演後、拍手喝采が起こった時、私の目からは自然と涙が溢れ出した。この瞬間こそが、私が求めていた「幸せ」なのだと、心から感じた。
再び、庭園のカキツバタを見つめる。紫色の花は、相変わらず「高貴」に咲き誇っていた。あの時、絶望の淵にいた私を救ってくれたのは、このカキツバタの「幸せは必ず来る」という花言葉だった。そして、祖母の温かい言葉だった。
私は、これからも様々な困難に直面するかもしれない。しかし、このカキツバタが教えてくれたように、どんな時も希望を忘れず、前向きに進んでいきたい。そして、いつか私も、誰かの心に「幸せは必ず来る」というメッセージを届けられる存在になりたい。カキツバタの紫色の花は、私の心の中で、永遠に輝き続ける「思慕」の光となった。

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