17255174020 紫陽花の庭と心の移ろい - ちいさな玉手箱

紫陽花の庭と心の移ろい

花ことばの物語

梅雨の気配が色濃くなる六月、私の実家の庭には、今年も見事な紫陽花が咲き誇っていた。特に目を引くのは、母が丹精込めて育てている淡いピンク色の紫陽花だ。雨に濡れて一層鮮やかさを増すその花は、まるで生き生きとした女性のようだった。私、ミオは、大学を卒業して数年、漠然とした将来への不安を抱えながら、この実家に戻ってきていた。

私は、これまで幾度となく自分の進むべき道に迷ってきた。大学での専攻も、就職先の選択も、いつも「これで本当に良いのか」という疑問がつきまとった。周りからは「移り気だね」と言われることもあった。自分でも、一つのことに情熱を傾け続けることが苦手なのだと感じていた。それはまるで、土壌の酸度によって色を変える紫陽花のように、私の心も環境や状況によって揺れ動くかのようだった。

実家に戻ってきてからも、私は転職活動を続けていた。しかし、どの企業も、どの職種も、心から「これだ」と思えるものが見つからない。焦燥感ばかりが募り、毎日が灰色に見えた。母はそんな私を心配し、何も言わずに温かい食事を用意してくれた。父もまた、口数は少ないが、私が庭に出るたびにそっと見守ってくれていた。彼らの「辛抱強い愛情」が、私を支えていた。

ある雨上がりの午後、私は庭に出て、ピンクの紫陽花を眺めていた。水滴を弾く花びらは、光を受けてキラキラと輝き、その「元気な女性」のような姿に、私は少しだけ勇気をもらった気がした。この紫陽花は、私が幼い頃からずっとこの庭に咲いている。毎年、梅雨の時期になると、母と私が一緒に水やりをしていた記憶が蘇る。

「ミオ、この紫陽花はね、毎年少しずつ色が変わるのよ。まるで、私たちの気持ちみたいにね」

母はそう言って、優しく花びらを撫でていた。その言葉が、今の私には深く響いた。私は、自分の「移り気」な性格をずっと欠点だと思っていた。しかし、もしかしたらそれは、変化を受け入れ、新しい可能性を探る力なのかもしれない。

私は、ふと、あるエピソードを思い出した。それは、私が小学校低学年の頃のことだ。近所に住む幼馴染のケンタと、この庭でかくれんぼをしていた。私が隠れたのは、このピンクの紫陽花の茂みの奥。ケンタがなかなか見つけられずにいると、母が「ヒントはピンク色の花だよ」と声をかけた。ケンタはすぐに私を見つけ、二人で笑い合った。あの時の「和気あいあい」とした家族の風景が、今も鮮明に心に残っている。紫陽花は、いつも私たちの「家族」の絆を見守ってくれていたのだ。

私は、紫陽花の花にそっと触れた。ひんやりとした感触が、私の心を落ち着かせた。私は、これまで自分の「移り気」な性格を否定してきたけれど、それは決して悪いことばかりではないのかもしれない。様々なことに興味を持ち、新しい世界に飛び込む勇気を持つこと。それもまた、私という人間を形作る大切な要素なのだ。

その日から、私は少しずつ変わっていった。転職活動も、以前のように焦るのではなく、自分が本当に何をしたいのか、じっくりと考えるようになった。興味のある分野のセミナーに参加したり、これまで話したことのなかった人たちと交流したり。すると、不思議と新しい道が見えてきた。それは、私がこれまで考えてもみなかった、全く新しい分野だった。

数週間後、私はあるベンチャー企業の面接を受けていた。その企業は、新しい技術を積極的に取り入れ、常に変化を恐れない姿勢を持っていた。面接官は、私の「移り気」な経験をむしろ「多様な視点を持っている」と評価してくれた。私は、自分のこれまでの経験が、決して無駄ではなかったのだと、心から感じることができた。

そして、私はその企業から内定をもらうことができた。実家に戻ってきてから抱えていた不安は、まるで梅雨空が晴れるように消え去った。母と父は、私の決定を心から喜んでくれた。

再び、庭の紫陽花を見つめる。淡いピンク色の花は、相変わらず「元気な女性」のように咲き誇っていた。しかし、よく見ると、花びらの縁がわずかに青みを帯びているように見えた。土壌の変化によって、少しずつ色を変えていく紫陽花。それは、私の人生そのものだ。これからも、様々な経験を通して、私は少しずつ変化し、成長していくのだろう。

私は、この「家族」の庭で育った紫陽花のように、どんな環境でも強く、そして美しく咲き続けたい。そして、私の周りの大切な人たちと、「和気あいあい」とした関係を築きながら、未来へと歩んでいきたい。この紫陽花は、私に「辛抱強い愛情」の大切さを教えてくれた。そして、自分の「移り気」な心も、時には新しい可能性へと導く力になるのだと、そっと囁いてくれた。

紫陽花の花ことば 「移り気」「浮気」「辛抱強い愛情」「家族」「和気あいあい」

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